「クルド人ヘイト問題を考える」

しばらく更新を休んでいたが、自分の研鑽のためにも新聞記事を紹介したい。
本日の東京新聞朝刊の埼玉版に、クルド人ヘイト問題に関する編集委員のコラムが掲載されていた。クルド人という外国人だから他人事のように捉える向きもあるが、少数派の人権侵害を許容する社会の雰囲気は、やがておおきなしっぺ返しを喰らうこととなる。

記事の最後にドイツで収容生活を強いられたニーメラー牧師の警句が紹介されている。
「クルド人ではないから」と、「当事者ではないから」と、目を背けることは、戦前のファシズムを招き入れることにつながる。

ナチスが共産主義者を連れさったとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。
彼らが社会民主主義者を牢獄に入れたとき、私は声をあげなかった。社会民主主義者ではなかったから。
彼らが労働組合員らを連れさったとき、私は声をあげなかった。労働組合員ではなかったから。
彼らが私を連れさったとき、私のために声をあげる者は誰一人残っていなかった。